今日1月17日は「阪神大震災」が起こってから25年目に当たります。当然生徒は全員その事実を知りません。テレビで「阪神大震災」の映像を見ても何か遠い国で起こったことのように感じている気がします。
「阪神大震災」が起こった日は、私が槇尾中学校で国語の教員として勤務している時期でした。当日の早朝自宅ベッドで寝ているときに下から突き上げられるような衝撃で目を覚ましたことを今でも覚えています。家族の安否を確認した後、槇尾中学校に出勤しました。クラスの朝のホームルームでこの地震のことを話しましたが、クラスで3人の生徒が全く気付いていなかったことに驚きました。その時は震災のすごさがまだわからず、「大きな地震だったなあ」という程度の感覚でした。授業を終えて、職員室のテレビでニュースを見たときに自分の目を疑いました。あまりの被害の状況に何が起こっているのか理解できませんでした。高速道路が倒れることなど想像もできなかったからです。ニュースでは時間が経つごとに被害の状況が報道され、多くの犠牲者が出ていることもわかってきました。私は神戸にも友人がたくさんいたので、連絡を取りましたがほとんどつながりませんでした。後になってわかったのですが、命を落とした友人はいませんでしたが、友人のお母さんが亡くなっていたり、家が潰れたり、全焼した友人がいました。和泉市でも支援の輪が広がり、被災した児童生徒の受け入れを行いました。
当時中学生だった教え子がちょうど今の生徒の親になっている世代です。どうかこの震災を風化させずに家庭でも話をしてほしいと思います。そして、いつ来るかわからない震災に備えておきたいと思います。学校では今日、朝のホームルームで「ある警察官の手記」という話を全クラスで読みました。これは25年前に当時救助活動されていたある警察官の手記です。今日子どもたちに渡していますので、ご家庭でもぜひ一緒に読んでください。